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静岡地方裁判所浜松支部 昭和59年(わ)350号 判決

主文

被告人村木勝三、同今井恒彦、同茅根勝三をいずれも禁錮二年六月に、同佐藤秀利、同山田謙をいずれも禁錮二年に、それぞれ処する。

この裁判確定の日から、被告人村木勝三、同今井恒彦、同茅根勝三に対し各四年間、同佐藤秀利、同山田謙に対し各三年間、それぞれの刑の執行を猶予する。

理由

(認定事実)

第一  各被告人の身上経歴

一被告人村木勝三(以下、人名は原則として姓のみ記載する)は、昭和三〇年三月三重県渡会郡玉城町立城東中学校を卒業後、一時酒店の店員として働き、同三四年三月ころ同県渡会郡二見町の旅館の調理師見習いとなり、同三七年九月ころ大阪市北区にあつた料亭の調理師を経て、同四〇年一一月ころ三重県鳥羽市所在(同五二年九月二六日、静岡県浜松市中沢町一〇番一号に本店移転)の中日本観光開発株式会社に入社し、同会社経営の鳥羽国際ホテルの和食の責任者として勤務し、同五〇年四月に同会社が静岡県掛川市通称満水(たまり)で経営する総合スポーツ施設「つま恋」(当時、同施設は、ヤマハ発動機株式会社の資産で、同会社から中日本観光開発株式会社が運営委託されていたが、中日本観光開発株式会社は昭和五六年一一月一日社名をヤマハレクリエーション株式会社と変更し、同五八年七月一日同施設をヤマハ発動機株式会社から譲受けた。以下ヤマハレクリエーション株式会社を単に会社ともいゝ、同施設を単につま恋という)に転勤し、当初調理部門のマネージャー(同五三年以降課制が採られ、マネージャーは課長と呼称が変更された。以下、部門と課を区別しないで課ともいう)であつたが、その後つま恋料理長となり、同五四年四月、レストラン課と調理課が統合され食堂課となつた際、食堂長(通称は料理長)となつて本件発生時に至つている。

二被告人今井は、同四〇年三月、岐阜県立益田高等学校を卒業後、前記中日本観光開発株式会社に入社して、同会社経営の鳥羽国際ホテル調理師見習いとなり、その後、調理師の免許を取得した後、同四九年五月つま恋の営業開始と同時につま恋調理課チーフとなり、同五三年に調理課長、同五四年に食堂課長となつて本件発生時に至つている。

三被告人佐藤は、同四九年三月静岡県立磐田農業高等学校を卒業後、前記中日本観光開発株式会社に入社し、同会社経営のつま恋レストラン係に勤務し、同五四年に食堂課レストラン係リーダーとなつて本件発生時に至つている。

四被告人茅根は、同三九年三月茨城県立日立工業高等学校機械料を卒業後、埼玉県入間郡にあつた日本管楽器株式会社に入社し、治工具の設計などの仕事をした後、同四〇年四月浜松市中沢町所在の日本楽器製造株式会社に入社して生産技術課に勤務し、同四八年一一月ころ磐田市新貝所在のヤマハ発動機株式会社に出向して、つま恋開発部門の仕事をし、同四九年三月前記中日本観光開発株式会社に出向し、つま恋施設課設備係チーフ、同五三年四月施設部門担当マネージャー、同八月施設課長となり、同五四年三月三一日同会社に正式に移籍となつて本件発生時に至つている。

五被告人山田は、同四五年三月秋田県立小坂高等学校電気科を卒業後、一時千葉県松戸市にあつた製パン会社に勤務したが、同四九年一月に同会社をやめ、その後、大蔵省電気室で夜勤のアルバイトをするなどし、同年一〇月前記中日本観光開発株式会社に入社して、つま恋施設課設備係勤務となり、同五五年四月同課設備係班長となつて本件発生時に至つている。

第二  つま恋の概要

つま恋は、静岡県掛川市板沢字板沢山二〇五一番二四ほか五一七筆、面積合計約一二八万七四二六平方メートル(約三九万坪)の敷地内にあり、同敷地内には、別紙図面(一)のように、ゴルフ場、野球場、サッカー場、馬場、テニスコート、屋外プール、フィールド・アーチェリー等のスポーツ施設及びホテル、ロッジ、クラブハウス、サウナ、パーティー会場、食堂、売店等の宿泊及びレクリエーション施設を備え、同施設の中心部にはミュージックサロン、和洋食堂、従業員の事務室等のあるスポーツマンズクラブが置かれ、これに隣接して飲食店舗「つま恋バーベキュー」(以下、本件店舗又はバーベキューガーデン若しくは満水亭という)がある。

昭和五八年一一月当時の、つま恋職員は支配人以下二七八名でその組織の概要は、支配人の下に副支配人が置かれ、その下に総務課、施設課、食堂課、レクリエーション課、営業課の五課が置かれ、食堂課には、特に課長の上に食堂長が置かれていた。

そして、支配人は福島正義(同人は同五六年五月支配人のまゝ本社に移り、以後つま恋支配人は非常勤となつた)、副支配人は後藤満、施設課長は被告人茅根、食堂長は被告人村木、食堂課長は被告人今井であつた。

また、施設課については、設備係、屋外メンテナンス係等の三係が、食堂課については、洋食係、和食係、レストラン係等の四係がそれぞれ事務を分掌し、係には、チーフ、リーダー、班長の職制上の区別があり、チーフ以上が管理職とされていた。

なお、つま恋には、支配人、副支配人の意思伝達機関ないし各課の連絡調整機関的性格の課長会議が設けられており、同会議は毎週一回定例的に開催され、副支配人が主宰していたが、非常勤の支配人福島は、同会議の議事録の写しの送付を受け、随時つま恋現地に赴くなどして、つま恋の業務・会計運営全般を常時把握していた。

第三  つま恋バーベキューの概要

食堂課所管の施設である本件店舗は、別紙図面(三)のとおりつま恋の敷地内にあり、同五二年三月完成したもので、建坪は九九三・七平方メートル(約三〇一坪)の鉄骨平屋建店舗であつた。施設の概要は、別紙図面(二)のとおり、同店舗の北側中央部には出入口があり、その出入口をはさんで東側にちゆう房、西側に洗面所がある。

同店舗内は、便宜上四分されて、南東部分をAコーナー、南西部分をBコーナー、北西部分をCコーナー、北東部分をDコーナーと呼び、Bコーナー北東寄りに、サービスステーションが設けられ、同所には、製氷機、冷蔵ショーケース等の電気器機数台が据え置かれ通電されていた。

同店舗内へのガス供給施設は、前記図面(三)のとおりであつて、同店舗の北方約一五〇メートルに位置するプロパンガス(以下、単にガスともいう)プラントに設置された五〇〇キログラムボンベ四本から、地下に埋設された八〇ミリ本管で同店舗西側の中間元栓まで配管され、更に、同元栓から五ミリ管によつて同店舗床下の地下に二〇ないし二五ミリ管六系統の枝管が配置され各端末栓に導かれていた(以下、客室系統の配管という)。

また、中間元栓からやや下流のところで配管が二系統に分岐しており、前記系統とは別の枝管がちゆう房元栓を経て、ちゆう房内の瞬間湯沸器等に導かれていた(以下、ちゆう房系統の配管という)。

本件事故発生当時、被告人村木、同今井は、中間元栓からやゝ下流で配管が二系統に分岐していた事実を知らず、同佐藤、同茅根、同山田は、これを知つていた。なお、中間元栓以下の配管の管理については、食堂課と施設課の管理が競合していた。

そして、同店舗内外には、別紙図面(四)のとおり、合計九九個のガス端末栓が設けられており、うち一〇個は同店舗南側芝生部分にあり、テラス部分に二〇個、Aコーナーに二〇個、Bコーナーに一五個、Cコーナーに一八個、Dコーナーに一六個、それぞれ設置され、各端末栓の閉鎖装置は、いずれもバルブとコックの二重閉栓式であり、同店舗内床下(AないしDコーナー部分)の各端末栓は、コンクリート製の円筒型ボックス(直径約一三・五センチメートル、深さ約二〇センチメートル)内に設置されており、その上部床面には、円型の金属蓋がかぶせられ、蓋の中心には直径約一・八センチメートルの穴があけられていた。

バーベキュー用の各ウエスタンコンロは、床下に設置された各端末栓と、それぞれゴム管によつて前記蓋の穴を経て接続され、そのゴム管は、各端末栓に留め金で固定されていた。

第四  つま恋の安全管理体制

一物的管理体制

ガス漏れなどに起因する災害を防止するための施設として、つま恋では、スポーツマンズクラブの一階に中央監視室が設けられ、同室内にはガス漏れ集中監視盤等の諸器機が設けられていた。

ガス漏れ集中監視盤は、横約四〇センチメートル、縦約二七センチメートル、奥行約一二センチメートルの箱型で、中央監視室西側の壁面に設置され、本件店舗や和食堂など一一か所のプロパンガス使用施設に設置されている端末警報器(空気中のプロパンガス爆発濃度下限界の約五分の一以下でもガスを感知する能力を有する)にリード線で連結され、特定施設の端末警報器がガスを感知するとその端末警報器に内蔵された警報ブザーが鳴り(一メートル離れた位置で七〇ホーン)、その約一〇秒後にガス漏れ集中監視盤の警報ブザーが鳴り、かつ、当該施設に対応する同監視盤の警報灯が点灯(以下、このブザー吹鳴及び点灯を警報の発報ともいう)して、ガス漏れの施設が識別できる仕組になつていた。

そして、本件店舗内の端末警報器は、同店舗内のAコーナー、Cコーナーの各鉄柱並びにサービスステーション及びちゆう房内の四か所の、いずれも床面に近い位置にそれぞれ一個ずつ、合計四個設置されていた。

昭和五八年九月一二日にガス器機の業者が、同店舗内に設置されたガス検知の端末警報器の点検を実施した。その際、Cコーナーの端末警報器については、業者がその点検を見落してしまつたため、故障なく作動していたかどうか確認されておらず、Aコーナー及びちゆう房内の各端末警報器については、いずれも故障が確認されて電源(コンセント)がはずされ、本件事故時までそのまゝとなつていたが、サービスステーション内の端末警報器について、右点検時には故障なく正常に作動していたことが確認されている。

二人的管理体制

昭和五八年一一月当時、ガス器機・設備等の保安監視業務を担当する施設課設備係では、毎日二名が組になつて、当日の午前九時から翌日の午前九時までの二四時間(但し、午前零時から午前五時までの間は仮眠を許した)中央監視室で前記監視装置の監視業務に当つていた。

また、支配人福島により被告人茅根が防火管理者に定められ、同被告人により消防計画(同五五年一二月一日実施)が作成され、所轄の掛川市消防長に届出られていた。同計画によれば、防火管理組織として、防火管理責任者福島及び被告人村木ほか一名の下に、防火管理者に被告人茅根が、防火管理責任者補佐に被告人今井ほか二名が、それぞれ定められるなどしており、更に、自衛消防組織として、消防隊長福島の下に、副隊長に被告人村木ほか一名が、消防班長に被告人今井及び同茅根が、避難誘導班長に中村定ほか一名などが、それぞれ定められるなどしていたが、右消防計画はそれ以前の消防計画が、退職者をそのまま防火管理者と記載したものであつたため、消防署の立入検査の際、指摘を受けて、形式を一応整えたものに過ぎず、当初から実施細目に不備があり、その後の人事異動が反映されていないなどのため実際には殆んど機能していなかつた。

第五  満水亭について

一本件店舗では、昭和五二年以降毎月四月ころから一一月ころまでを夏場として、この間は同店舗をバーベキューガーデンと称しバーベキュー料理を主体とする飲食店営業をしていたが、一二月ころから三月ころまでの冬場は、同店舗を満水亭と称し、鍋料理を主体とする飲食店営業をしていた。それは、冬場においては、バーベキュー料理の需要が少くなることから、冬場の営業成績を上げるため本社からの冬場の営業対策を考えるようにとの指示に基いて、同店舗が竣工した年である昭和五二年の九月ころ、支配人福島が中心となつてその対策を検討した結果、冬場は同店舗を和風に改装して、店舗名を、「満水亭」と改称し、鍋料理を主体とする営業を行うこととしたためである。

そして、支配人福島は、右改装につき工事を外注にすると経費がかさむことを考慮し、経費節減をはかるため、当初の昭和五二年からつま恋従業員による自前の改装作業を実施し、以来例年同様の営業方針が採られてきた。

二例年、同店舗の改装作業は一一月に行われたが、その概要は、端末栓上部の蓋を開けて端末栓を閉栓し、ウエスタンコンロのガスホースを端末栓から外し、同コンロ及び同コンロのセットされたウエスタンテーブル等を撤去して、床面を更地とし(以下これまでの作業を撤去作業という)、その上にビールラック約三〇〇〇個を逆さまにして並べ、更にその上に木枠、ベニヤ板などを用いて新たに床を造り、畳約四〇〇枚を敷き詰めて座敷を造り(以下、更地とした後のこれまでの作業を建込み工事という)、その座敷上の鍋料理用の座卓、卓上ガスコンロ約七〇個を配置するなどした。(なお、サービスステーションの区画には、座敷を作らなかつたのでそこは畳の座敷から三〇センチメートル位低い区画となつており、その区画の床と座敷の床との間を塞いでなかつた)そして、ガス設備については、第一回目(昭和五二年)の改装作業では、当時施設課チーフであつた被告人茅根の発案・設計により、前記中間元栓の下流から枝管を引き、これを満水亭の天井から鉄柱を経由して床面まで配管して端末栓を取り付け、これにガス管を接続して右各卓上ガスコンロに導くこととしたが、第二回目(昭和五三年)以降は、右の天井配管の使用を中止し、その代わりに二キログラム詰プロパンガスボンベ(以下、「二キロボンベ」という)約七〇個を配置した。

右改装作業は経費節約を目的とする前記のような営業方針から、支配人福島の指示により、当初レストラン課(同五四年から食堂課。以下同じ)及び施設課が中心となつて行うこととなり、撤去作業はレストラン課が、建込み工事は施設課が、それぞれ分担して作業に当り、以後同様の作業分担が踏襲された。

そして、改装作業に当つては、毎年食堂課のリーダーからその実施責任者が選任され、それとは別に、施設課においては施設課担当の建込み工事についての責任者を選任していたが、各責任者の間で、各課の作業日程を調整して日程表を作成し、各課において、その会議の席で、その内容の周知徹底を図つていた。

三同五二年一一月に行われた第一回目の撤去作業に当つては、前記のとおり天井配管方式が採用されたため、天井配管と満水亭床下の各端末栓が中間元栓を共通にしたことなどから、当然のことながら、作業関係者の間で、各端末栓の閉栓を確実に実施することがガス漏れ事故防止上不可欠であると充分に意識されていたため、その年度の改装作業実施責任者佐藤寿のほか、レストラン課チームの中川直樹、当時施設課チーフであつた被告人茅根らも自発的に閉栓確認作業を実施したが、既にその当時から、撤去作業について格別の作業計画は作成されておらず、支配人福島ら上層管理職は改装作業につき安全面からの指揮・監督をしなかつた。その当然の帰結として、各端末栓の閉栓確認義務者は、責任体制上明示的に定められてはいなかつた。

第二回目以降は、前記のとおり天井配管の使用が中止されたが、中間元栓の下流配管のうち、満水亭客室系統の配管が使用されない冬場においても、ちゆう房系統の配管は使用されることがあつたから、中間元栓を閉栓して撤去作業を行うような場合、各端末栓を確実に閉栓しておくことが事故防止上必要不可欠であつた。(その端末栓を閉栓しなければ、ちゆう房のガス器機を使用するため中間元栓を開けた場合、閉栓されていない端末栓からガスが流出し事故発生に至るからである)にもかかわらず、第二回目以降はレストラン課や施設課の管理職は、管理職として、撤去作業に関与しなくなり、実施責任者や作業関与者に対し、閉栓やその点検確認を指示もしなかつた。

こうして、ガス漏れによる事故発生の防止は、事実上改装作業実施責任者の自主的な閉栓指示・閉栓確認の実施にゆだねられるところとなつていたが、昭和五六年と昭和五七年の各一一月に行われた撤去作業においては、中間元栓を開放状態にしたままガスホース外し作業をしたこともあり、同作業従事者が閉栓に注意したため、事故発生に至らなかつた。(なお、昭和五三年から同五五年までの撤去作業において、中間元栓を開放したまゝガスホース外し作業をしたかどうか、実施責任者が閉栓指示・閉栓確認したかどうかは、証拠上明らかではない)

第六  昭和五八年度の改装作業

一改装作業は、例年客足が遠のく一一月下旬に行われていた。しかし、同五八年度は、一一月二三日から二泊三日の予定で東洋工業株式会社と全国マツダ販売店協会が共同で主催する全国のマツダ販売会社の同五九年度採用内定者に対する研修会の予約があり、その研修員ら約七〇〇名の宿泊が予定されていたことから、満水亭の設営を例年より一〇日位早めて、一一月中旬ころ行う必要が生じた。

そこでまず、同年六月一七日開催の課長会議(副支配人後藤、料理長被告人村木、食堂課長同今井、施設課長同茅根、総務課長芹沢修、営業課長中村定、総務課総務係チーフ栩木信司、以上構成員全員出席)において、副支配人後藤から、「満水亭の設営を一一月一四日から一八日までとし、一一月二三日に予定していた社員運動会は中止する」旨の指示があり、これを受けて被告人村木が、「つま恋バーベキューの営業を一一月一三日までとする」旨確認し、次いで、同年七月二二日開催の課長会議(総務課長欠席のほかは全員出席)において、副支配人後藤から、「満水亭の営業期間は、同年一一月二六日から翌年三月一〇日までとする。建込み工事は、一一月一四日から同月一八日の間に行う。」旨などの指示がなされ、続いて、同五八年九月三〇日開催の課長会議(全員出席)において、被告人茅根から、「満水亭の造作は前年と同様とする」旨の、また被告人今井から、「つま恋バーベキューの改装作業実施責任者として食堂課レストラン係リーダーの岡本始憲を選任した」旨の報告があり、それぞれ了承された。

ところが、その実施責任者に選任された岡本が、同年一〇月上旬に、同年一一月一日付で営業に配置換えになることが内定したため、同年一〇月一一日の食堂課会議終了後に行われたレストラン会議の席上、被告人村木、同今井は、岡本に替えて被告人佐藤を実施責任者に選任した。(なお、レストラン係が所管する諸施設は、各施設ごとにこれをセクションと呼称し、各セクションを三つのグループにまとめて、それぞれを、A、B、Cのブロックと呼称した。そして、職制上ブロック長、セクション長の別があり、当時、被告人佐藤はAブロック長であつた。本件店舗は、Bブロックに属するセクションであり、Bブロック長は岡本の後任に、当時バーベキューガーデンのセクション長であつた村尾真が就任することに内定していたので、例年の慣行からすると、村尾が後任の実施責任者に選任されるべきところであつたが、同人は同年一一月九日結婚式を挙げ、引続き新婚旅行を予定していたため、結局被告人佐藤が後任の実施責任者に選任されるに至つた経緯があつた)

そこで被告人佐藤は、まず、同年一〇月一五日ころ、営業課の予約センターに行つて客の予約台帳を調べ、同年一一月一二日夜及び一三日昼のつま恋バーベキューは、ほぼ満席の状態で、一三日午後二時ころまで昼食客が予定されていることを確認し、前年に自己が作成した日程表を参考にしながら、作業日程のメモ書を作り、同年一〇月一六日ころには、施設課との日程の調整をするため施設課会議に出席した。この席上、被告人佐藤は、施設課メンテナンス係から、「メンテは、いつ作業に入れるか」と問われて、安易に、「一一月一三日午後二時半からなら入れます」と回答した。次いで、一〇月二〇日開かれた食堂課会議において、被告人佐藤は、前記作業日程のメモ書に基づいて、上司や課員に作業日程を報告した(同日のレストラン会議の議事録には「一一月一三日昼食終了後解体に入る」旨情報伝達のなされたことが記載されている。被告人今井は右会議に出席し、同村木は欠席したが、後日その写しを見て日程を確認した)。被告人佐藤は、会議終了後レストラン係班長村尾に日程表を清書させ(なお、その際同人は、後記のとおり一部日程を自らの判断で修正し、被告人佐藤はこれを了承した)その翌日ころ日程表の写しを被告人村木、同今井らに提出した。

右日程表の要旨は次のとおりである。

一一月七日 葛城倉庫より畳移動

八日 資材運搬、木工作業開始

九日 手すり、かまち張込み、メンテナンスよりビールラック運び

一二日 必要数のテーブルを残し、ウエスタンホース外し

一三日 午後二時、椅子・テーブルの撤去、ワックスがけ

一四日 ビールラック搬入、床張り

一五日 畳搬入、テーブル組立、清掃

一六日 下げ場ステーションのセット

一七日 総合点検

一八日 仮オープン

一九日 オープン

(なお、前記のとおり一〇月二〇日の食堂課会議の議事録では「一一月一三日昼食後解体に入る」旨の記載があるのに、清書された右作業日程の上では、ウエスタンコンロのガスホース外しの作業は、同月一二日に予定されているが、これは前記のとおり村尾の修正によるものである。実際の経過としては、予約台帳の記載のように、一二日夜から一三日昼まで約三〇〇人の予約客があつたため、後記のとおり、一三日午後二時ころになつて撤去作業に着手した)

そして、一一月四日開催の課長会議(被告人村木欠席のほかは全員出席)において、副支配人後藤から、満水亭の改装作業費を二〇〇万円以内に押えるよう指示があり、更に、一一月一三日から改装作業に入ることが確認され、被告人今井からは、改装作業に他課員の応援を願う旨の発言があつて了承され、更に同月一一日開催の課長会議(全員出席)においては、被告人今井から、一一月一四日、一五日の満水亭の改装作業は全体作業で行いたい旨の発言があつて、その旨了承された。

また、一一月一三日に予定されていた撤去作業の作業員については、同月一一日ころ、食堂課レストラン係チーフ岩本が作成したレストランサーバーシフト表により、バーベキューガーデンの撤去作業に先立つ時間帯の営業に従事するよう決められたレストラン係の櫻井満(同人は、同年一一月一日付で、バーベキューガーデンのセクション長となり、当然に、撤去作業等の副責任者となる旨了解されていた)、西尾幸与志、長島美智子、八鍬信子、中山晴代、藤森ゆみ子、松島幹子ら合計九名(なお、内二名は総務課所属の女子従業員で、当日は、撤去作業の応援に出なかつた。)がバーベキューガーデンの営業に従事した後、撤去作業にも従事するものと考えられていた。

二前記日程表の上で予定されていた同月一二日のガスホース外し作業は、結局実施不可能となつたので、被告人佐藤と櫻井は、同日夕刻の話し合いで、翌一三日の昼食営業の終了後撤去作業を開始することを申し合わせた。

作業当日の同月一三日は、午後二時ころまで本件店舗の飲食客があり、そのころ最後の客が同店舗内から出ると、直ぐに撤去作業が開始された。実施責任者であつた被告人佐藤は、作業開始が同日午後二時三〇分ころになると見込んでいたのでそのころ、日曜日のため多忙であつた、本務の場所であるAブロックのセクションで仕事に携わつており、まだ現場に姿を見せていなかつた。

こうしたことには、飲食客が本件店舗内に残つているうちから施設課メンテナンス係の者が、同店舗周辺に待機しはじめ、午後二時ころになつて、客が同店舗内から退出するのと同時に、同店舗内に資材を搬入しはじめるなどしたため、一刻を争つて撤去作業を開始せざるを得ない状況になつたことも作用している。

このようなあわただしい状況の下で櫻井は、ガスホース外し作業開始に当り、これを安全に行おうと考え、長島美智子に指示して中間元栓を閉栓させてから作業に取りかかつた。

しかしメンテナンス係員の資材搬入作業に追い立てられるようにして作業を行わざるを得なかつたなどのため人手不足となり、櫻井が他のレストラン係員の応援を求めた結果、守屋栄一、榛葉愉三子、萩田きみ子も撤去作業に参加し、更に付近にいたメンテナンス係員村松重幸、同山下寅平も、その場の様子を見て、ガスホース外し作業等を手伝つた。

撤去作業中、Dコーナーにあつた八角デシャップが、施設課によつて取り付けられた工作物に邪魔されて同店舗外に搬出できなくなり、右工作物の除去をめぐつて櫻井と施設課員との口論となるなどしたため、櫻井は、午後二時三〇分ころバーラウンジで仕事に従事していた被告人佐藤に電話連絡し、同被告人に、現場に来て窮状を打開するよう求めた。

そこで、被告人佐藤は、直ちに現場に赴き、施設課員と交渉して工作物を除去してもらい、八角デシャップを同店舗外に搬出するなどした後、自らもガスホース外し作業に従事したが、間もなくして櫻井から、中間元栓を閉栓したことを聞いて知つた。

ところで、本件店舗内外の合計九九個の端末栓のうち、芝生部分の一〇個、テラス部分の二〇個及びDコーナーなどの約二一個、合計約五一個については、既に閉栓状態にあり、当日残りの約四八個について、各端末栓(以下、この各端末栓を、本件各端末栓という)のバルブ及びコックの閉栓、ガスホース外しの作業が予定されていたが、右作業を実行したのは、櫻井、被告人佐藤のほか、前記西尾、守屋、萩田、村松、山下らである。本件各端末栓の閉栓作業は、まず床面にある端末栓上部の蓋を開けて、端末栓のバルブ及びコックを閉栓し、ウエスタンコンロから右蓋の穴を経て端末栓につながつているガスホースの留め金をゆるめてホースの上方にずらしたうえ、ガスホースを端末栓から外し、更に右ホースを蓋から抜いて蓋を床面に元通りに閉め、右留め金をガスホースに再び付けておくというものであつた。その際、櫻井は、西尾、守屋、萩田らに対し、本件各端末栓のバルブ及びコックの確実な閉栓方を指示しないまま作業に当らせ、加えて被告人佐藤も、後記のとおり業務上の注意義務を怠つたため、右西尾、守屋、萩田(いずれも当時一九年)らは、冬場の満水亭営業期間中は、中間元栓が閉栓されたまゝで開けられることはないものと誤解し、或いは、後刻男性作業員がバルブやコックを閉栓してくれるものと軽信するなどし、錆付いて締らないコックや固くて閉栓しにくいバルブもあつたことなどもあり、いきなりガスホースを引つぱつて抜き取るなどしてこれを外し、バルブもコックも閉栓をしないまゝ撤去作業を続けた。その結果、本件各端末栓のうち合計約三一個の端末栓(別紙図面(四)のとおり、事故後の検証の結果、三一個の端末栓のバルブ及びコックが開放状態にあつたことが確認されたが、このうち二個については、端末栓が閉塞していたことも確認された。この二個の端末栓の閉塞の時期は明らかではなく、仮に本件事故以前から閉塞していたとすると、これを除く二九個の端末栓からのガスの流出のみが本件事故に関係することになるので約三一個とした)のコック及びバルブは閉栓されないまま放置された。

なお、撤去作業の当日午後三時ころ、右撤去作業と併行して、レストラン係チーフ岩本は、自ら主宰してレストラン会議を開催し、そのころ被告人佐藤を同会議の場に呼び出し、更に、午後三時三〇分ころ櫻井をもその場に呼び出した。櫻井は、当日の作業中再び作業現場に戻つてはいない。被告人佐藤は午後三時四〇分ころ作業現場に戻つたところ、西尾、守屋らが未だ作業をしていたが、BコーナーとCコーナーに二、三個ずつのウエスタンコンロを残すのみであつたので、右残りのウエスタンコンロにつき端末栓のコック又はバルブを閉栓する作業をし、椅子やウエスタンコンロ等の搬出・運搬の作業もし終え、午後六時二〇分ころ食堂課事務所に赴き、同所にいた被告人今井、同村木に順次作業の終了を報告して退出した。

第七  爆発前の状況

昭和五八年一一月一三日の撤去作業において、右のとおり満水亭床下の本件各端末栓のうち合計約三一個のバルブ及びコックが開放状態のまま放置され、その上に、翌一四日以降の建込み工事が実施されて満水亭の座敷が新造されたのであるが、同月二二日になるまで中間元栓は開けられる機会がなかつた。

しかし、同月二二日午後零時一〇分ころ、この間の事情を知らない食堂課和食係員柴田孝由は、満水亭ちゆう房内で、翌二三日に予定されていた前記東洋工業株式会社等主催の研修会参加者約七〇〇名分の鍋料理のだしを作るため、中間元栓を開いた。そのため、プロパンガスは右約三一個の端末栓から一斉に流出を開始し、ビールラックや畳などを用いて新設したばかりの床下の空間内に、刻々と滞溜し、同日午後零時一五分ころ、前記中央監視室のガス漏れ集中監視盤の警報が発報し、ガス爆発の瞬間に刻々と近ずきつつあつた。

被告人山田は、そのころ中央監視室で監視業務に従事しており、右発報を認めたのであるがその約五分前、右柴田から満水亭ちゆう房内の瞬間ガス湯沸器の点検依頼を受けていたことなどから、これを誤報と速断し、更に、午後零時二五分ころ、満水亭ちゆう房に行つて湯沸器を点検した際、同所にいた右柴田らに対し、ガス警報器が鳴つた旨告げたところ、特に反応がなかつたので、誤報と確信し、午後零時三〇分ころ、中央監視室に戻つた時、まだ集中監視盤の警報灯が点灯していたのを認めたのに、そのまま従業員食堂に行つて昼食をとつた。

他方、満水亭内では、午後零時過ぎころ、レストラン係員の藤森ゆみ子、清水ひとみが、前記研修会の準備をするために来た東洋工業リクルート部関係者らの昼食の準備をするなどしており、同日午後零時三〇分ころになると、右東洋工業関係者が昼食をとるべく満水亭内に入つた。その際、満水亭玄関付近でガス臭を感じた者もかなりあつたが、ガス臭はサービスステーションの辺りが強く感じられた。しかし、満水亭の従業員らがガス臭につき心配したり、騒いだりする様子もなかつたので、同関係者らはそのまま幕の内弁当の用意されたBコーナーに行き昼食をとり始めたが、窓を開けたり、煙草を吸わないようにし、中には、二キロボンベの点検をする者もあり、又右レストラン係の女子従業員にガス臭につき注意する者もいた。このような状況下で、右藤森は、同日午後零時四〇分ころレストラン係リーダー畑中勇にその状況を電話連絡し、すぐ来るよう求めたので、畑中は満水亭客室内に入り、藤森の導きでサービスステーションに赴いた。畑中がサービスステーションに入ると強烈なガス臭を感じたので、急いで付近の二キロボンベ数本の閉栓の有無を確認したが、いずれも閉栓されていたので、取り敢えず来客の避難誘導をしようと考え、上司の了承を得るため電話交換手に電話して、「管理職の人、誰でもいゝから満水亭にくるように伝えて下さい」と館内放送の依頼をした。その途端に本件ガスが爆発した。

なお、この間満水亭に居合わせた者で端末警報器の発する警報音を聴いた者はいない。

第八  罪となるべき事実

一被告人村木は、つま恋食堂長(通称料理長)の職にあつて、つま恋の食堂課所管諸施設に設置されたガス器機・設備等の取扱い及び安全管理等の同課所管の業務全般を統括掌理するとともに、右業務について、同課所属員を指揮・監督していた者であり、被告人今井は、つま恋の食堂課長の職にあつて、同課所属諸施設に設置されたガス器機・設備等の取扱い及び安全管理等の同課所管の業務全般について、食堂長である被告人村木を補佐するとともに、同課所属員を指揮・監督していた者であり、被告人佐藤は、つま恋の食堂課レストラン係リーダーの職にあつて、同係所属諸施設のガス器機・設置等の取扱い及び安全管理等の同係所管の業務について、自らこれに従事するとともに、同係所属員を指揮・監督していた者で、昭和五八年度における改装作業(撤去作業等)の実施責任者に選任された者であり、被告人茅根は、つま恋の施設課長の職にあつて、つま恋の施設全般のガス器機・設備等の保守管理及び保安監視等の同課所管の業務全般について、同課所属員を指揮・監督するとともに、消防法の定めによる防火管理者に定められ、防火対象物の防火管理業務に従事していた者であり、被告人山田は、つま恋の施設課設備係班長の職にあつて、つま恋の施設全般のガス器機・設備等の保守管理及び保安監視等の同係所管の業務に従事していた者である。

二昭和五八年度の改装作業に当たり、前記のとおり、満水亭へのガス配管が中間元栓の下流で満水亭客室系統とちゆう房系統の二系統に分岐しており、冬場においても、ちゆう房系統のガスは使用されることがあつたから、中間元栓を閉栓して撤去作業を実施するような場合は、本件各端末栓を確実に閉栓しておくことが、ガス漏れ事故防止のうえで必要不可欠であつたところ、取外しが予定されていた本件各端末栓は前記のとおり、A、B及びCコーナーの合計約四八個にのぼり、バルブ及びコックは金属蓋に覆われた地下の円筒型ボックス内にあつて、その閉栓作業は必ずしも容易でなかつた。

1被告人村木、同今井は、食堂課における作業実施責任者として被告人佐藤を選任し、同被告人の指揮・監督のもとに、同課レストラン係所属員ら(以下、同被告人を除き「作業従事者」という)をして、本件店舗において、撤去作業を行わせるに当り、前記のとおり中間元栓の下流が分岐していることは、食堂課所管のガス設備として、以前から掌握しておくべきことであり、かつ、それは容易に可能であつたから、撤去作業が中間元栓を閉栓して実施された場合、作業従事者が本件各端末栓のうち幾つかを開放状態のまま放置すると、後日、ちゆう房勤務者らが中間元栓を開放した場合、右開放状態のまま放置された端末栓を経由して、多量のプロパンガスが流出して爆発し、多数の客やつま恋従業員が死傷に至るなどの事故の発生を予見し得たから、撤去作業を実施する所管課の管理職として、あらかじめ、撤去作業等の実施責任者に選任した被告人佐藤に対し、同作業の従事者、作業日程、作業手順及び作業分担等を記載した作業計画を立案させて、これを本件各端末栓の確実な閉栓を期する見地に立つて個別に検討したうえその適正を図り、撤去作業が右作業計画に準拠して支障なく遂行されるよう関係者に周知させ、更に、撤去作業の実施に際しては、同被告人に対し、作業従事者が本件各端末栓のバルブ及びコックを確実に閉栓するよう自ら指示すべき旨、かつ、撤去作業終了後、施設課長または同課設備係員の点検確認を受けるか、もしくは自らこれを点検確認すべき旨を各自指示すべき業務上の注意義務があるのに、それぞれこれらをいずれも怠り、被告人佐藤に対して、作業計画の立案指示はもとより、何らの指示・注意を与えることなく、撤去作業の実施を同被告人に委せ、同被告人及び作業従事者をして、昭和五八年一一月一三日午後二時三〇分ころから後記2記載のとおり撤去作業を行わせた。

2被告人佐藤は、撤去作業等の実施責任者として、同日午後二時三〇分ころから、本件店舗において、作業従事者を指揮・監督して撤去作業を行うに当り、中間元栓の下流が前記のとおり分岐していること及び当該撤去作業があわただしく遂行され、かつ、中間元栓が閉栓されていることを知つていたのであるから、作業従事者が、本件各端末栓のうち幾つかを開放状態のまま放置することが有り得、そのような場合、前記1記載の経過をたどつてガス爆発事故が発生して多数の者が死傷に至ることが予見し得たのであるから、作業従事者に対し、本件各端末栓のバルブ及びコックを確実に閉栓するよう指示し、その作業を指揮・監督するなどし、更に、作業終了後は、施設課長または同課設備係員の点検確認を受けるか、自らこれを点検確認すべき業務上の注意義務があるのにこれらをいずれも怠り、作業従事者に対しては、何らの指示をも与えることなく撤去作業に従事させ、作業終了後も、点検確認のための何らの措置をも講じなかつた。

3被告人茅根は、つま恋の施設課長兼防火管理者として被告人佐藤及び作業従事者が同日午後二時三〇分ころから、本件店舗において、撤去作業を行うこと及び中間元栓の下流が前記のとおり分岐していることを知つており、中間元栓が閉栓されて撤去作業が実施された場合、作業従事者が本件各端末栓のうち幾つかを開放状態のまま放置すると、前記1記載の経過をたどつてガス爆発事故が発生して多数の者が死傷に至ることが予見し得たのであるから、撤去作業に際し、自ら撤去作業に立会うか、施設課設備係員をして撤去作業に立会わせるなどして作業従事者に対し、本件各端末栓を確実に閉栓するよう指示を与えるほか、作業終了後は、自ら点検確認するか、同係員をしてこれを点検確認させるべき業務上の注意義務があるのにこれらをいずれも怠り、自ら撤去作業に立会わず、また事後の点検確認など何らの措置をも講じなかつた。

右のとおり、被告人村木・同今井・同佐藤・同茅根の各過失の競合により、本件各端末栓のうち合計約三一個のバルブ及びコックが開放状態のまま放置され、よつて、同月二二日午後零時一〇分ころ、満水亭ちゆう房勤務の調理師柴田孝由が同ちゆう房設置の大型瞬間ガス湯沸器に点火する目的で、中間元栓を開放したことにより開放状態におかれていた前記合計約三一個の端末栓から多量のプロパンガスが満水亭床下に流出・滞溜し始めた。

三被告人山田は、同日午後零時一五分ころ、満水亭に隣接するスポーツマンズクラブ内の中央監視室において、当直勤務に従事中、前記のとおり満水亭客室床下内ではプロパンガスが流出・滞溜し、満水亭内に設置されたガス漏れ検知の端末警報器がこれに感応して右監視室設置のガス漏れ集中監視盤の警報ブザーが鳴り、かつ、満水亭内にガス漏れのあつたことを表示する警報灯が点灯したのを認めたのであるから、直ちに満水亭内に赴き、ガス漏れの有無を点検すれば、前記のとおり満水亭客室床下には多量のプロパンガスが流出・滞溜しつつあるのを察知することは可能であつたので、その場合は、速やかに満水亭内の従業員らを屋外に避難させ、来客の立入りを禁止し、併せて、前記中間元栓を閉栓するなどの措置を講ずべき業務上の注意義務があるのに、これらをいずれも怠り、警報ブザーの吹鳴及び警報灯の点灯を誤報と速断して直ちに満水亭内に赴かず、前記のような多量のガスの流出・滞溜の事実を察知する機会を逸し、折から満水亭内で昼食をとつていた客や接客業務に従事するなどしていたつま恋従業員の避難誘導等の措置を何ら講ずることなく放置した。

四右のとおり、被告人村木、同今井、同佐藤、同茅根の各過失に、更に被告人山田の過失が競合したことにより、前記開放状態のまま放置されていた合計約三一個のプロパンガス端末栓から多量のプロパンガスを満水亭客室床下に流出・滞留させ、同日午後零時四八分ころ、これに満水亭サービスステーション設置の電気器機の火花から着火させて爆発炎上させ、よつて、別紙一覧表(一)記載のとおり、満水亭内に居合わせた八瀬辺愛子ら一四名を焼死等するに至らしめたほか、別紙一覧表(二)記載のとおり、満水亭内及び付近に居合わせた松本育夫ら二七名に対し同表記載の各傷害を負うに至らしめたものである。

(証拠の標目)

〈中略〉

(なお、検察官は、被告人佐藤について、前記認定の過失に加え、同被告人は、自らあらかじめ、撤去作業の従事者、作業日程、作業手順及び作業分担等を記載した作業計画書を立案して、安全面からその可否を検討しこれに従つて撤去作業を実施すべき注意義務があつた旨主張する。

しかしながら、撤去作業の従事者は、レストラン係チーフの岩本によつて、一一月一三日の数日前に作成されたサーバーシフト表によつて自動的に決まるものとされていたのであり、被告人佐藤が他の従業員に対し、事実上の協力を求めることを超えて、予め作業従事者を決定する権限を有していたことを認めるに足りる証拠はなく、作業日程についても、六月一七日開催の課長会議において、一一月一三日までを夏場の営業期間とするとともに、満水亭の設営(建込み工事以降の改装作業)は一一月一四日から一八日の間に行うことが決定されていたから、この時間的な大枠は、同被告人の変更しうる限りでなかつたのであり、作業従事者の決定権や日程調整上の十分な権限のなかつた同被告人が、自らの考えで作業計画を作成したとしても、どれ程作業条件を整えるにふさわしいもので有りえたか疑わしく、しかも、そのような不完全な作業計画ですら、当時の多忙なつま恋においてどこまで計画通り実施することが可能であつたか疑問であるから、結局のところ、同被告人に、右のような注意義務を課してみても、結果回避にどの程度結びつくか疑問であることに帰するから、右の点は過失の認定から除外した)

(法令の適用)

被告人らの判示各所為は、各被害者毎に刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、それぞれ該当するところ、右はいずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の最も重い田窪昌司に対する業務上過失致死罪の刑で各処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人村木勝三、同今井恒彦、同茅根勝三をいずれも禁錮二年六月に、被告人佐藤秀利、同山田謙をいずれも禁錮二年に、それぞれ処し、情状により、同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から、被告人村木勝三、同今井恒彦、同茅根勝三に対し各四年間、同佐藤秀利、同山田謙に対し各三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

(量刑の理由)

第一  本件の結果と被告人五名の責任等

一本件は、前記のとおり、誰しも安全を信じて疑わない、大規模なレジャー施設における、人的過誤に起因するプロパンガス爆発事件であり、その結果、多数の利用客や従業員が、生命を喪い、または重軽傷を受け、社会的にも広く関心が寄せられたことは公知の事実である。

死亡者は、東洋工業株式会社等所属会社の貴重な働き手であつて一家の支柱であつた者や、その他多くは未婚の若い女性であつて、合計一四名にのぼり、それぞれに幸多かるべき前途を奪われ、その無念の情は、計り知れず、遺族は、いずれもかけがえのない家族の一員を思いもかけない事故により喪つて、深刻な衝撃を受け、今なお深い悲嘆の中に明け暮れており、被害感情は、たやすく慰藉する方途もない実情にある。

そして、合計二七名にのぼる生存被害者もその多くは身体に重篤な傷害を受けて、長期間の入通院による治療を余儀なくされ、身心共に甚大な苦痛を受けたばかりでなく、その間社会的な諸活動の領域から離脱を強いられ、将来にわたつて後遺症の残存するもの、今なお治療の必要な者が含まれるなど、未婚の若い女性の場合は勿論、いずれの場合も事故の影響は極めて深刻である。

そこで、右のような重大な事故の発生に原因を与えた各被告人の、それぞれの過失の内容を順次検討するに、先ず、被告人村木、同今井の過失について考えると、満水亭は食堂課の所管施設であり、改装作業も全体としてみれば食堂課の所管事務であつて、その内特に撤去作業は、例年レストラン係が中心になつて実施すべきものとされており、調理課とレストラン課が統合され食堂課となつた昭和五四年四月ころ以来、レストラン係の管理職ともなつた被告人両名は、例年各自の管理下において、同種の撤去作業を実施して来たものであるから、中間元栓の下流の分岐の点は当然知悉していなければならず、また、撤去作業に当り閉栓の必要な端末栓が多数にのぼり、かつ地下の円筒型ボックス内に納められていて、必ずしもその操作が容易でないことは知つていたと推認される(被告人村木は、昭和五四年一一月の撤去作業の際、自ら一作業員としてガスホース外しに従事した経験があり、同今井は、本件店舗をパーティー会場に改める際に、同様の作業に従事した経験がある)のに、数年間にわたつて、このような問題点に配慮を及ぼすことなく、ついに本件時においても、漫然非管理職であつた被告人佐藤に対し、作業実施上の一切の責任を事実上委ねてしまい、作業計画の立案指示はもとより、同被告人に対し、安全管理上の観点からなすべき指揮・監督を何一つなさなかつたものである。

満水亭は、多数の飲食客を収容できる大規模な施設であつて、その安全性は高度に保障されなければならず、その直接の管理責任は食堂課の最高責任者である被告人村木、同今井に帰属すべきである。また、作業計画の作成等作業条件の万全を期することは被告人両名の権限行使に俟つべきところが大きかつたからそれだけ撤去作業における安全管理については被告人村木、同今井の指揮・監督権の行使に期待されるところが大きかつたといえる。

そして、昭和五八年度における改装作業に至る経過を見ると、前記第六、一のとおり、同年六月一七日の課長会議において、満水亭の設営を同年一一月一四日から一八日までの期間とし、バーベキューの営業は同月一三日までとする旨の日程上の大枠が決定され、その後の一連の課長会議や食堂課会議において、右の大枠を前提とした作業日程の確認が再三行なわれた。

右の課長会議又は食堂課会議の内容は、いずれも詳細な議事録が作成されており、常時出席していた被告人今井は勿論、同村木も出席できなかつた各会議については、後日その写しを受領してその内容を把握していたもので、いずれの被告人も一一月一三日昼までバーベキューの営業があり、その後施設課側の準備作業と併行してレストラン係の撤去作業が実施されることになるであろうことは知つていたものである。

他方、被告人佐藤が一〇月二〇日ころ作成して、被告人村木、同今井らに配付した日程表の写しの記載では一一月一二日にガスホース外しが予定されていたことは前記のとおりである。これは、日程表作成に当つて、撤去作業の時間的な枠をどのようにして確保するかは、その作業に従事する従業員の側としては、一つの問題であることが、被告人佐藤やレストラン係班長村尾の念頭に上つたため、被告人佐藤は、自己のメモ書きの上では一三日にガスホース外しを予定したが、村尾はその開始を一二日に早め、同被告人もこれを了承したものと思われる。

右日程表の写しは、前記のごとく同年一〇月二一日ころには被告人村木、同今井らの手元に渡つていたものであるから、この時点で被告人両名が、これをよく注意して検討すれば、一一月一二日にガスホース外しが予定されており、これは六月一七日の課長会議の決定及びそれに基づく関係各課の一連の了解に牴触していることが理解でき、右矛盾点を被告人佐藤らに質すなどすれば、端末栓閉栓を含む撤去作業が一定の人員及び時間を要するなどの問題点に気付き、ひいては、閉栓作業を完全にさせるために必要な作業日程の変更を加えるなどして、本件事故防止を図ることも可能であつたと思われる。

この点は措くとしても、一一月一三日ころは、例年客足に区切りがついていない時期に当り、両被告人は、食堂課各セクションの営業等に人手をとられ、撤去作業の方に人手が集まり難い状况になるであろうことを予想していたといつてよく、また、撤去作業の従事者の中には、入社歴の浅い者や、女子従業員も含まれるだろうということは概ねこれを知つていた。

しかるに、被告人両名は、撤去作業当日の午後二時三〇分ころから、レストラン係関係者を集めて長・副長の説明会を開き、その場にレストラン係の関係者を召集し、引続いて午後三時ころからは、レストラン係チーフの岩本に対し、レストラン会議の開催を許可したものであるところ、被告人佐藤や副責任者櫻井は、右会議の主要な構成員の一員であることからすれば、撤去作業の現場に責任者が不在となり問題が生じかねないことは予想できたことといえる。

以上の諸事情を考慮すると、本件事故発生について被告人両名の怠慢にははなはだしいものがあり、これに被告人両名の食堂課管理職としての立場等をも考慮すると、その刑責は重いというべきである。

次に、被告人村木、同今井相互間の責任の軽重について考えると、職制上は、同村木が食堂長として食堂課長である同今井の上位に位置し同被告人を介して部下を指揮・監督し、両者の意思決定については同村木のそれが優越し、同今井のみでは、種々の事項について単独では意思決定を行つていない点もある。

しかし、同村木は部下従業員との関係において、同今井を介して間接に指揮・監督権を行使しうる立場にあつたばかりでなく、日常的に、同今井を介することなく、直接部下従業員を指揮・監督していたのであり、また個々の業務について部下従業員が同村木に直接指示を仰いでいた場合もある。他方同今井は、一面で食堂長の同村木を補佐する立場にあつたとはいえ、自らは食堂課長の立場にあり、食堂課の日常業務等事柄の性質によつては、同村木の意思に沿う限り、同被告人の指示を仰ぐことなく自らの判断で部下従業員を指揮・監督することが可能であつた。また、被告人村木は、他の営業所の料理長を兼務しており、その関係から出張も多かつた反面、被告人今井は、もつぱらつま恋に勤務していた。こうしてみると、両者の指揮・監督権は、撤去作業に伴う安全管理に関しては、いずれも単独かつ直接に部下従業員に及び得たものと考えられるから、結局、被告人両名の指揮・監督権は競合的に行使されることが期待されたといつてよく、また、施設課との日程の調整等については、被告人両名は、いずれも課長会議の構成員として、各自同程度の権能を持つていたと考えて差し支えないので、そこに格別の責任の軽重はないとするのが相当である。

次に、被告人佐藤の過失について考えると、同被告人は、撤去作業の責任者として、現場に最も近接した場所におり、最も直接的・具体的に本件事故の原因を除去することが期待され、かつ、可能な立場にあつた。しかも、同被告人は、昭和五七年三月以来、撤去作業の直前である昭和五八年九月三〇日まで、同店舗を含むBブロックの長の立場にあつたもので、その関係から昭和五七年度は撤去作業の実施責任者にもなつたことのある経験者であり、更に、勤務を通じて、本件店舗のガス配管が中間元栓の下流で分岐していたことは知つていた。のみならず、本件の撤去作業中には、中間元栓が閉栓されていたことも認識しており、作業があわただしく遂行されている状態も目の当りにしており、作業従事者の中には、経験未熟な者や女子従業員など、ややもすれば、無責任に傾きがちな者が含まれており、これらの者もガスホース外し作業に従事し、その中から端末栓の閉栓を怠る者が出てくることも具体的に予見できる状況にあつた。

前記のとおり、作業開始後間もなくレストラン会議に呼び出され、作業の実態そのものを目撃する機会を失つたことは、弁護人主張のとおり、同被告人のために斟酌すべき事情であるとしても、午後三時四〇分ころには、再び作業現場に戻つたのであるから、その時点で、たとえ既にガスホース外し作業の大半が終了していたとはいえ、端末栓の閉栓の有無に全く思いを巡らせることなく、自らは何一つ点検確認をしようともしなかつたことは、無自覚の謗りを免れない。この時点で、多少とも被告人佐藤に安全面からの責任の自覚があつたならば、まだ十分、かつ、容易に閉栓漏れを発見し、閉栓の確実を期することが可能であつたのであるから、この機会を逸してしまつた同被告人の責任は重い。

次に、被告人茅根の過失について考えると、同被告人は、施設課長として、前記のとおり、つま恋の施設全般の安全管理について枢要な管理職の立場にあり、かつ、昭和五五年一二月以来防火管理者にも定められていた者であるところ、昭和五二年一一月に実施された第一回目の改装作業の際は、当時設備係のチーフの立場にあつて、レストラン部門の責任者と作業分担について話し合い、その後の作業分担のもとになる了解を成立させ、かつ、自らは天井配管方式を発案・設計するなどして、同店舗の中間元栓から下流の分岐が、安全管理上問題のあることは知悉していたため、端末栓が確実に閉栓される必要を感じて、閉栓確認については、自らもこれに当るべきものと考えて自発的に従事したものである。

しかるに、同被告人は、第二回目以降、レストラン係従業員の閉栓作業が遺漏なく遂行され、自ら確認しなくても大丈夫だろうとの許されない期待を抱いて、自らこれに立会うことは勿論、部下従業員を立会わせることすらしなかつたものである。

のみならず、同被告人はつま恋の課長会議の席上において、撤去作業の安全管理上の問題点を指摘し、関係者の注意を喚起することも一切しなかつた。

支配人福島の経営姿勢に安全管理上の視点が後記のとおり薄弱であつたことに起因するつま恋の安全軽視の傾向が、同被告人の右のような態度の一因となつた面は否めないにしても、同被告人は誰よりも自らが率先して安全管理上の職責を尽し、満水亭の構造や、そのガス配管設備に伏在する重大な危険を関係者に周知させ、ひいては支配人福島に対し意見具申するなどしてこれを改善すべき立場にあつたものである。

また、同被告人は、前記一連の課長会議にも欠かさず出席するなどして、一三日午後に食堂課の撤去作業と併行して、自らが所管する施設課のメンテナンス係従業員が作業現場に資材を搬入して土台作りを行うことは知つていたもので、その結果撤去作業の現場があわただしい状況に陥るべきことは予想し得た。

しかも、同被告人は、一三日の作業終了後である同日午後八時から午後九時ころにかけて満水亭内に赴いており、そこで更地になつた床面とガス端末栓の蓋を見る機会があつたのであるから、同被告人に多少なりとも点検確認をする気があれば容易に端末栓の閉栓漏れを発見することが可能であつた。

食堂課従業員が日常ガス器具を使用する限りにおいて、同課が第一次的な安全管理上の責任を負うべきであることはもとよりではあるが、満水亭改装作業は、多数の端末栓を新設床面の下に、長期間閉鎖しておく、年に一回実施されるだけの大規模な改装作業であつて、日常業務にはない特殊の安全管理上の問題点を伴うものであつたのであるから、防火管理者でもあり、かつ、右問題点のあることを知つていた同被告人の刑責は被告人村木、同今井のそれに劣らず重い。

最後に、被告人山田について考えると、同被告人は、前記のとおり、集中監視盤のガス漏れ警報が発報し、本件店舗に対応する警報灯の表示がガス漏れを表示したのを現認したのであるから、速やかに現場に赴き、原因究明のため必要な点検作業を順次とどこおりなく行つていれば、まだ時間的余裕は残されており、満水亭床下の多量のガスの流出・滞留という容易ならざる事態に気付くことも可能であつたのであり、かつ、その場合自らの判断で惨事を回避するための客の避難誘導等の諸措置を採ることも可能であつたから、こうした最後の機会を、誤報との速断から逸してしまつた同被告人の行為は、その職責に照らして余りにも迂濶であつたというべきであり、同被告人の刑責も重いといわなければならない。

第二被告人五名の責任がそれぞれ重大であることは、前記のとおりであるが、以下に述べるとおり、各被告人に共通の、または個別の諸事情もあり、これらの事情は、各被告人に対する量刑に当つて斟酌すべきものである。

一満水亭の構造やつま恋における安全管理体制上の問題点その他つま恋の経営体質上の問題点が本件事故の基本的条件となつていることを指摘することができる。

1つま恋のガス配管の関係は、別紙図面(三)のとおりであり、中間元栓を経て下流のガス配管は二系統に分岐し、一方は満水亭床下を含む同店舗内外の端末栓に、他方はちゆう房元栓を経てちゆう房内のガス器機に、それぞれ至つていた。ガス配管が分岐した後に系統ごとに、別個の中間元栓が設置されていたならば、本件事故の根本条件は存在しなかつたといえるが、これと異なる右のごとき本件当時の配管構造を前提にすると、本件のようなガス漏出事故の絶無を期するためには、この二系統の配管が、常時、同じ時期に使用されることを要する。

即ち、満水亭客室系統の配管が使用されない期間は、ちゆう房系統の配管も使用されないようにすることが必要であつた。したがつて、本件で実際あつたように満水亭客室系統の配管を使用しない期間中にちゆう房系統の配管を使用するならば、右満水亭客室系統のガス端末栓は、人的な過誤によつて開放状態のまま放置されるようなことは絶無を期さなければならない筈である。

当初、バーベキューガーデンは、その名の通り、常時バーベキュー料理を提供する施設として作られたものであつて、前記二系統の配管は、常時その態勢で使用されるものとの想定があつて、ちゆう房元栓に相当する元栓を中間元栓の下流に更に付加する必要はないと考えられたため、右のような配管構造になつたものと推定されるが、この使用目的からすると、分岐後に、ちゆう房元栓に相当する元栓を設置することは経費的に無駄ですらあるから、少なくとも設計の時点では相応の合理性がなかつたわけではない。しかし、本件店舗の冬場の営業方針が竣工の年の秋には早々に変更されるに及び、満水亭客室系統のガス配管は、使用を停止され、その間各端末栓が地下の円筒型ボックス内において露出することになる一方で、ちゆう房系統のガス配管は使用が予定されることとなり、当初の予想とは異つた使用方針が採られることとなつたから、この時点で使用方針とガス配管の構造との齟齬が生じ、それまで一応の合理性を有していた、ガス配管構造が、客観的には、一転して安全管理上の問題点を内在させるものに転換したということができるのである。したがつて、この時点で本来ならば速やかに中間元栓の下流に、満水亭客室系統専用の元栓を新設して冬場の開閉を禁止するなど、適宜の方策を講じて配管構造上の問題点を除去しておくか、さもなければ、撤去作業の際満水亭床下の各端末栓の閉栓の万全を期して、閉栓確認の責任体制を明確化しておくべきだつたのである。しかるに、支配人福島はガス配管構造の安全性についての全体的見地からの見直し及びそれに伴う関係各課に対する指示が、当然新規の営業方針採用に伴う同支配人の責務であつたにもかかわらず、もつぱら営業成績向上の見地のみから冬場の営業方針を推進し、第一回目の改装作業当時、かなり細部にまで立入つて陣頭指揮していたのに、この点の配慮をなおざりにしてきたものであり、こうした支配人福島の経営姿勢における問題点は、本件発生の基本的条件を準備したものとして指摘しないわけにはいかない。

更に、満水亭の構造自体、前記のとおり、床下に多数のガス端末栓があり、その上に約三〇〇〇個のビールラックを並べ、その上に約四〇〇枚の畳を敷き詰める構造のもので、一旦建込み工事が完成してしまえば、閉栓漏れを発見することは容易でなくなり、しかも空気より比重の重いプロパンガスが多量に滞留し、空気と混合して爆発濃度に到達するのに極めて好都合で、かつ、外部からの発見が著しく困難な閉鎖的構造をもつていたものである。施設課メンテナンス係員大山一雄の考案した満水亭の構造がこのように危険性を内在させたものであつたのに、これを採用することを決定したのは、他ならぬ支配人福島であり、ここにも同支配人の安全管理上の著しい認識不足を指摘することができる。

2昭和五八年度の改装作業で特に問題とされなければならないのは、元々冬場の営業方針は、客足が遠のく時期の対策として考案された関係上、撤去作業も、例年、夏場の客足が一区切りつく、毎年一一月下旬ころを目安に実施されていたが、昭和五八年度の場合は、前記のとおり、一一月下旬に東洋工業等主催の研修会が開催されることとなり、その関係で客足にまだ区切りのついていない例年より早めの時期に改装作業を実施することとなつた経緯があり、このことは、同年六月の課長会議の時点で明らかであつたのに、管理職層の意識が経営実績の向上に偏して安全管理の視点を欠いていたことから、その方面からの問題提起は一切されないまま撤去作業の当日まで至つている。

そして、このように日程をくり上げて無理な作業を計画したことと、実際には更に、施設課メンテナンス係員がレストラン係員の都合も考えないで、予定時刻より約三〇分早く本件店舗内に資材を搬入しはじめたという事情等が重なり、一層作業をあわただしいものにさせて、中間元栓を閉栓したうえ、差し当りの安全のみを考えた無責任な作業が強行される原因の一つとなつた。

このような余裕のない改装作業を計画したのは(副支配人後藤の関与も無視できないが)被告人村木、同今井、同茅根らであり、同被告人らの責に帰すべき面のあることは勿論としても、つま恋の営業優先の経営体質が、例年になくゆとりのない作業日程を組まざるを得ない与えられた枠として、被告人山田を除く各被告人の前にあつたことは否めないところである。

3また爆発直前の状況は前記のとおりであり、満水亭内、殊にサービスステーション付近にたちこめたガス臭は、女子従業員や、レストラン係リーダー畑中らの覚知したところであつたが、そのような場合一般常識的に判断して、同人らは、何よりも先ず、来客らの避難誘導を優先してしかるべきであつたのに、来客に与える心理的悪影響を慮つて最後までそのような行動を自ら採ることはしていない。勿論、事態がこれ程まで重大で切迫したものであることを発見すれば、何を差しおいても、同人らが、自らの判断で客の避難誘導等の行為に出たであろうことは容易に推測できるが、規模の大きなガス消費設備を擁するつま恋において、原因が判明する時間を待つていては、手遅れになる場合のありうることは、見易い道理であるから、この種施設においては、来客らの生命・身体の安全を最優先にして日頃から、ガス漏れ事故を想定するなどして避難誘導の訓練を実施しておくべきであり、そのような日頃の備えがつま恋側にあつたならば、前記女性従業員や畑中らも安んじて来客らの安全を優先させて迅速に行動でき、そうすれば、本件事故による人的被害の減少に努めることが可能であつたのであり、或いは、人的被害をかなりの程度くい止めることも可能であつたと思われる。しかるに、つま恋では、従業員は、客からのクレームや会社の信用にかかわることは現場限りでなく、必ず上司に報告して判断を求めるようにと、平素から指導を受けていた反面、ガス漏れ事故を想定した避難誘導訓練が行なわれておらず、そのための具体的な行動準則も、従業員に与えられていなかつた。

このような事前の備えが総合的で、かつ、実効性をもつためには支配人福島の明確な意思決定が不可欠であつたのであり、このことについても同支配人の怠慢を指摘しないわけにはいかない。

4以上要するに本件事故は、満水亭の構造やつま恋における安全管理体制上の不備・欠陥等が前提条件となつて発生したものであり、その背後には、支配人福島の経営姿勢に安全管理上の視点が殆んど欠如していたこと、非常勤の同支配人を補佐するためつま恋に常勤していた副支配人後藤も全く同様であつたこと、ひいては、会社の経営姿勢自体に問題があつたことを指摘せざるを得ないのである。

右のような諸々の問題点については、手遅れとなつたとはいえ、本件後会社の深く自覚したところであつて、会社側は、事故後速やかに被害者側に対し、会社の責任を全面的に認め、誠意を尽して対応してきており、死亡者全員の遺族関係及び生存被害者のうちいまだ症状の固定しない九名を除く全員の関係で高額の賠償金を支払うなどして示談を成立させている。また、会社はつま恋の施設に対する安全管理体制を、新しい支配人の下で、抜本的に見直し、人的・物的に亘つて防災体制を完備するとともに、従業員に対する安全教育、防災訓練等も充分実施し事故再発の絶無を期している。

右の諸事情は、各被告人に共通の情状として斟酌されるべきであると考えられる。

二以上のような各被告人に共通の事情のほかに、各被告人の個別的事情を検討すると次のとおりである。

1被告人村木、同今井はいずれも調理師であり、それぞれつま恋に転勤してきた当時は、調理課の管理職であつた。昭和五四年に、調理課とレストラン課が統合されて食堂課となつてからは、被告人村木が食堂長、被告人今井が食堂課長となつて、レストラン係の管理職も兼ねることになつたが、改装作業が初回に実施されたのは、昭和五二年秋であり、当時、レストラン課は被告人村木、同今井の管理下になかつた。被告人両名は、昭和五四年になつて、調理課とレストラン課とが統合された際、それまでレストラン課の分担とされてきた改装作業の所管を引き継ぐことになつたが、そのころは、同作業を実施責任者に、事実上委ねることが定着しており、前記ガス配管構造に問題点のあることは知らされていなかつた。こうしたことが、被告人両名の認識不足の原因になつたものと推認される。無論このような認識不足は、とうてい許されないものであり、速やかに是正されなければならなかつたが、被告人両名の専門である調理面の管理職としての業務が多忙であつたうえ、更に専門外のレストラン運営及びその施設にまで管理責任を負担せざるを得なかつたことも、被告人両名が右の点について十分な配慮を及ぼし得なかつた一因といえる。

2被告人佐藤についてみるに、本件の直接原因となつた行為そのものは、個々の作業従事者が端末栓を閉栓しないで放置し、中には、ガスホースをいわゆるゴボウ抜きした者もあり、そのこと自体極めて非常識なことであつた。

また、こうした事態の発生については副責任者である櫻井の関与を看過することはできない。即ち、同人は、前記のとおり、午後二時ころから責任者であつた被告人佐藤の了解を得ることもなく作業を開始した。(なお同人は午後二時三〇分ころ、施設課とのいざこざを解決してもらうため電話で被告人佐藤に連絡をとり、現場に来てくれるよう求めているのであるから、櫻井において、責任の明確化を図る気があれば、作業の開始に当り、同被告人の現場への急行を求め、その指示によりこれを開始することは可能であつたと思われる。櫻井は一一月一日付でバーベキューのセクション長に任命されており、同人が撤去作業の副責任者になるものと関係者間で了解されていたのは前記のとおりであり、同人は撤去作業当日のサーバーシフト表にも筆頭に掲載され、同日の日常業務における最高責任者でもあつた。そして、被告人佐藤は、日常業務の職制上は櫻井と所属ブロックを異にしていた。このような変則的な両者の関係が櫻井の独断的ともいえる行動の背景として存在していた。)

そして、櫻井は、女子従業員に指示して中間元栓を閉栓させ、更に他の従業員の応援をも一存で決定して、これを求めている。その結果現場に駆けつけた者のうち二名の者が閉栓しないでガスホース外しをしている。

また、現場への接着度という点からすると、櫻井は同店舗内において、午後二時ころから午後三時一五分ころまで現場作業に従事しており、これに対して、被告人佐藤は、午後二時三〇分ころから午後三時ころまで現場作業に従事し、午後三時四〇分ころ現場に戻つた時はガスホース外し作業は殆んど終了していたのである。

こうした状況下で、櫻井は、内心作業従事者の中には端末栓を閉め忘れた者がいるかも知れないとの一抹の不安をもちつつも、作業の迅速な遂行のみを考えて、中間元栓の下流が分岐していることを知つていたのに、作業従事者に閉栓を指示せず、また、被告人佐藤にその旨を告げて善処を求めることもしなかつた。

このような事実に照らすと、本件事故原因となつた端末栓の閉栓漏れの発生について、櫻井の実質的関与の程度には相当深いものがあるといつてよく、この点は、特に被告人佐藤の刑責を考えるについて看過することができないところである。

更に、レストラン係チーフの岩本にしても、一〇月一一日のレストラン会議において被告人佐藤を責任者に推薦し、一一月一三日のサーバーシフト表を作成したことを除けば、撤去作業関係事務には関与することがなかつたとはいえ、レストラン係の管理職として、被告人佐藤の直接の上司の立場にあつたのに、同被告人らに対し、撤去作業に当つての一般的注意すら与えた形跡はない。のみならず、前記のとおり岩本は、一一月一三日の撤去作業の当日を被告人佐藤の公休日として指定しており、しかも、その作業当日は、被告人村木、同今井の了解を得たとはいえ、撤去作業と併行してレストラン会議を開催し、被告人佐藤や副責任者櫻井をその場に呼び出し、その間現場を離脱させるなど、レストラン係管理職としては、著しい認識不足の行動を終始とつたものであり、こうした諸事情が被告人佐藤の責任感を鈍らせ、ひいては撤去作業の全体的把握を怠らせた一因をなしていることは否定できない。

以上、要するに、被告人佐藤については、個々の閉栓作業従事者及び副責任者櫻井の極めて非常識な安全感覚の欠如した行動や、レストラン係チーフ岩本の撤去作業についての著しい認識不足が認められ、これらの諸事情は同被告人のために斟酌されるべきものと考えられる。

3被告人茅根についてみるに、昭和五二年一一月に実施された第一回目の改装作業の際には、撤去作業に伴う閉栓確認が、施設課の業務でもあることは、責任体制上明確に申し合わされたものではなく、当時は、レストラン部門の管理職も端末栓の閉栓確認の必要を感じて、自発的に右作業に従事したこと、閉栓作業そのものは、格別の知識経験を必要としない機械的作業ともいえること、こうした事情から、第二回目以降の撤去作業において、同被告人としては、閉栓確認をレストラン部門に委せておいても支障はないものと考えて撤去作業に立会うなどすることをしなくなつたものと推認されること、そして、そのまま本件時まで何の問題もなく撤去作業がくり返し遂行されてきたこと、中間元栓以下の配管については、日頃から食堂課員がこれを操作しており、食堂課現場従業員の間では、入社歴の短い者を除き、その下流が分岐していることはほぼ周知の事実となつていたことなどの事情に照らすと、本件が、直接には、食堂課における撤去作業に伴う安全管理業務の懈怠を原因とするものだけに、その結果をすべて同被告人の責に帰するのは相当でない。

4被告人山田についてみるに、まず、同被告人は、どのような点検確認をすべきであつたかを考えてみると、同被告人は速やかに満水亭に赴き、何よりも端末警報器の点検を行なうべきであつたと思われる。

しかしながら、満水亭内の端末警報器のブザーを聞いた者はいないから、サービスステーションの端末警報器に速やかに注意が向くとは言い難いし、Aコーナー及びCコーナーにそれぞれ設置された各端末警報器は、いずれも満水亭床下に位置していたから、簡単に点検することが実際は不可能でもあつた。もつとも、同被告人が満水亭内に入つた後速やかにガス臭を知覚できたならば、ガス漏れか所の点検に及ぶことは可能であつたというべきであるが、前記第七記載のように、午後零時三〇分ころ、満水亭内にいた女子従業員がガス臭に対する特別の反応を示しておらず、これを知覚していなかつた形跡のあることに照らすと、同被告人が広い満水亭内において、午後零時一五分過ぎの間もない時刻に、ガス臭を知覚し得たかどうかは疑問が残る。

仮に、サービスステーション内の端末警報器に注意が向き、同被告人が右場所に赴けば、ガス臭を知覚し得る時刻は比較的早まると思われるが、サービスステーション内の数個の二キロボンベ以外に、満水亭床上には合計約七〇個の二キロボンベが配置されているのであり、同被告人としては、右二キロボンベの点検を優先するほかないであろうと思われる。それは畑中らの生存者も爆発直前までもつぱら二キロボンベの点検をし、それらがいずれも閉栓されているので、原因に思い至らず焦慮していることからも容易に推測できる(なお、畑中は、レストラン課のリーダーの一人で、昭和五六年度の撤去作業の実施責任者をも経験しており、満水亭のガス配管構造は中間元栓の問題を含めて知悉していた)。

要は、それが是認されるのか、それとも、被告人山田の監視員としての職責上、あらゆる原因を想定して、その究明や避難誘導等に努めなければならないのかという点であるが、満水亭は、その改装作業が食堂課の所管業務(一部施設課の責任分担があることは前記のとおり)とされ、食堂課において責任をもつて作業が計画・遂行された筈のものであり、しかも、当日は満水亭のオープン直後に当つていたのであるから、同被告人は、食堂課の改装作業に欠陥があつたことを当然に疑つて点検を進めるまでの必要はなく、また、それ以上のことを同被告人に期待することは困難であつたと思われる。

即ち、同被告人は、二キロボンベに原因を見付けることができないと判断されるか、もしくは、二キロボンベの閉栓漏れでは説明のつかない異常な徴候を具体的に察知するなどした時点で、満水亭床下からのガスの漏出を疑い、状況に応じてその確認、或いは来客らの避難誘導等に当れば足りると思われる。もつとも、集中監視盤の警報が発報し、ガス臭が知覚できればそれだけで来客らの避難誘導等の措置を講ずべきであつたと考えることができなくはないが、前記のような満水亭内の諸状況を前提にする限り、それは刑法上の予見可能性に基礎付けられた結果回避義務とは言えないであろう。

こうした事情に加えて、更に、次のような点を指摘することができる。即ち、ガスの漏出は、満水亭のA、B及びCの各コーナー床下に分布する約三一個の端末栓から一斉に始まつたものであり、満水亭床下が前記のとおり閉鎖的構造をもつていたことからすると、床下全域のガスが空気と混合して爆発に適した濃度に達するまでには、それ程の時間を必要としたとも考えられない。

その時刻が何時ころのことになるのかは、再現実験のない以上推測の域を出ないけれども、科学警察研究所技官作成の鑑定書(甲27号証)によつて、これを試算すると次のとおりである。

ガス漏出開始時刻:t0≒午後0時10分

ガス爆発時刻:t1≒午後0時48分

漏出したガスの総量:v≒18m3

ガスの滞留した空間容積

:V≒206m3

爆発濃度下限界:Min.≒2.1%であるから、

爆発濃度下限界に達するまでの時間をx分とおくと、次式を得る。

ここからxを求めると、

x≒9.1

即ち、計算上は、午後零時二〇分ごろには、満水亭床下内の混合気は、爆発濃度の下限に到達していたことになるのであるが、右は、満水亭床下内の空気とガスが一様に混合したと仮定しての算出値であり、また、計算の基礎として用いた数字は推定を加えたものもあり、現実の満水亭、殊に着火源の存在したサービスステーション内の構造などをも考慮すると、右算出値がそのまま直ちに爆発可能な時刻を示すかは問題が残るが、それにしても、前記のような常識的な推論とよく整合することは注目してよいと思われる。

いずれにしても、本件で爆発が起きた午後零時四八分より相当早い時刻に、満水亭床下内の混合気は爆発濃度に到達し、かつ、その混合気がサービスステーション内の着火源付近に漏出しつつあつたものと思われ、右時刻までに爆発が起きなかつたのは、その時まで電気器機の火花が飛ばなかつたという全く偶然の作用によるものに過ぎないのである。

同被告人に対し、死の危険を賭してまで、満水亭内での点検確認作業等に当るべき法的義務があつたということは相当でないから、同被告人が、満水亭内において自らの注意義務を果すために残された時間は、現実の爆発までの時間より短かくなることにも留意しなければならない。

しかも、同被告人が、ガス漏れの事態に気付くことを期待し得る時点においては、既に爆発濃度下限界を越える多量のプロパンガス混合気が満水亭床下内に流出・滞留していたと推測されるから、同被告人において、右切迫した状況下で爆発そのものまでは阻止できなかつた可能性が多く、また、右状況下で同被告人に、来客の避難誘導等、被害防止を図るよう期待される行為の程度は限定されてくるものと解される。

以上のような事情は、ガス漏出という事態こそが本件事故の決定的な要因であることを如実に物語るものであり、同被告人の結果回避措置に期待すべきところが多分に偶然に左右されるものであることを示すものであるから同被告人に対する量刑に当つて斟酌すべきである。

第三  結  論

前記のとおり、被告人五名の各過失は、余りにも痛ましい惨事を惹き起こしたものであり、死亡者とその遺族や、生存被害者とその家族等、事故により被害を受けた多数の関係者の有形・無形の損失は計り知れず、その悪影響は将来にわたつて憂慮され、第三者の軽々しい同情を許さないものがある。

しかしながら、以上、各被告人に共通の、または個別の有利・不利の諸事情を総合検討してみると、各被告人それぞれの過失は、いずれも厳しい非難に値するものではあるが、本件事故は、つま恋に勤務する多数の関係者の行為が幾重にも関係して発生したことも明らかであつて、その結果をすべて被告人五名の責に帰すべきものと断定することは相当でなく、さりとて、いずれかの被告人の過失が結果発生に決定的な要因となつたとも断定できないのでありその他、各被告人が、いずれも長期間善良な社会人としての生活を送つてきたものであつて、本件発生から捜査・公判の段階を通じて新聞・テレビ等による報道や捜査段階での身柄拘束等により事実上の制裁を一部受けていることや、各被告人とも本件を惹き起こした各自の責任を深く自覚し反省していることなどの諸事情をも考慮すると、過失事犯である本件事故による被害はまことに重大ではあるが、各被告人に対して刑事責任を追及するにおいては、相応の限界が存在することも已むを得ないものと思料される。

以上の次第により、各被告人に対しそれぞれ、主文のとおりの禁錮刑を科したうえ、いずれもその刑の執行を猶予することとした。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官人見泰碩 裁判官島田周平 裁判官平井治彦)

別紙一覧表(一)(二)〈省略〉  別紙図面(一)〈省略〉

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